分業化が進みすぎた社会  ~人は本当に幸福になったのか~

 

分業化が進む現在の社会。それは私たちに効率をもたらしてくれた反面、身の回りのことも自分だけではできない状況を作りだしてしまったと思う。

分業化は、人類の歴史の中で発展してきた。例えば狩猟採集時代、あるホモ・サピエンスのグループに弓矢づくりの名人と、狩りの名人がいたとする。2人とも弓矢を作り狩りに出るより、弓矢づくりの名人は作ること、狩りの名人は狩りに専念する。そうすると結果としてありつける肉の量は増えるだろう。人間社会の分業化は、ある意味必然でもあり、現在はそれが驚くほど複雑になった。

 

 

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分業化の優れた所は、全体の総生産量を最大限高められることだ。一人一人が自分の仕事に時間と労力をつぎ込み、仕事量を最大に近づけようとする。当然その分できないことが出るが、それは代わりにその道のプロにやってもらう。そうして生産量を上げて発展を続けてきた。

その分業化は、特に戦後、急激な経済発展・都市化が進んだことで加速してきたと思う。田舎ではまだ自分たちで生活に関わること、身の回りのことを自分たちですることは多い。それには色々な理由があると思うが、長年の経験、親から子への知識・技術の引き続きなどが関係していると考えられる。

 

 

僕は今までは、分業化の流れを好ましいものと思っていた。自分が得意なことだけして、他のことを他人に任せられるのは、効率的だし楽しいと。しかし考え方が少し変わりつつある。日々の生活の中で、できないことが多すぎるという不安を感じた。実際に、一人暮らしを始めて、どんなに普段の生活の中で、分からないことが多いか身をもって知った。一

 

度お風呂から変なにおいがしだしたことがある原因が全く分からず、どつい匂いに2週間近く悩まされた。パソコンの調子がおかしくなったときは何もできなくて本当に困った。思えば車からテレビ、掃除機、スマホなど、自分が持っているものについてどうやって作られているか、どうして動くのか、知らないものばっかりだ。

正直、そんな複雑でもなさそうなシャープペンシル1本にしても、構造を理解しているとは全く言えない。調子が悪くなったら説明書を読み、書いてある通りにし、分からないことはスマホで調べる。

自分の体のこともあまり理解していないのかもしれない。体調を崩したら、医者から言われた通りの薬を飲み、それでも多くの人が原因の分からない体調不良に悩ませれている。

生活に絶対必要な水や食料も、もし店頭からすべて消えてしまったら、生きていくことができるだろうか。

はっきりいって、まったく自身がない。昔のひとが当たり前にしていたことも、現代人はできなくなってしまった。

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本当に自分の力だけでできていることなど、ほとんどない。

それを感じるきっかけになったのはやはり地域、農村に入ったことだ。現代においても中山間地域で暮らす人々は、まだ自立して生活している。身の回りのことは何でも自分でする人を見ていて、彼らはもし災害などが起こっても生きていけるだろうなと思った。逆に自分はあまりにも自分の外のことに依存している。インフラが停止するなどの大きな災害でなくても、スマホがなくなるだけで途方に暮れるだろうと。

自分の住んでるところから遠い国で起こったことが、不景気として自分たちに大きな影響を与える。よくよく考えたらこれはすごいことだ。

アメリカでの株価の変動、中国の政策、中東での内乱、どこかで開発された新しい技術...。そういったことが直接僕らの生活に関わってくるのだ。

グローバル化は、良くも悪くも世界と密接になってしまった。

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分業化は、発展に大きく貢献してきた。それは全体の利益を最大限にしようとする資本金の中では必然的に進んだ。今まで追求してきたのはより効率的に、より儲けて(物質的に)豊かになろうという考え方だった。しかしおそらく、人が本当に目指しているのは “幸福”であって、究極的に効率化したときに、それで人は幸せになれるのだろうか。目的は幸福を感じることで、その手段として物質的に豊かになることがあった。

 

もっともっととお金と物質を追求していき、いつの間にか物で溢れていたけど、それでも時間に追われ、思っていたより幸せじゃないと感じている現代人。

分業化が進み、とことん効率化を目指し、自分の得意なことだけやって、分からないことはしなくていいと喜んでいたら、ほとんどのことを依存することになってしまった都市人。

 

価値があるというのはどういうことなのか、どんな社会が一人一人にとって望ましいのか。現代はもう一度それを問い直してみる必要があると思う。

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